制服について思うこと
この話。
はてブで意見が分かれてて面白いですね。
制服の必要性の有無やら、ズボン統一論やら、この制服の導入がLGBTの配慮に関係あるか否か、多様性について、制服はズボラに優しい…etc. たくさんありましたね。
このブログ記事には自分の体験から思ったことを、
ブコメには収まりきらなかったことを書こうと思います。
はじめに
LGBT配慮の制服 小学校に 半ズボンかスカートを自由に選択 | NHKニュース
選択出来ることはいいことだ。ただ、制服は廃止すべきではない。制服は貧しい家庭も周りと同じ服装が出来るメリットがある。貧困がいじめの原因になるのを減らしてフラットに勉強に取り組める。校則は滅びてほしい。
2020/01/10 12:14
上記のブコメのように考えるようになったのは子ども時代に置かれた環境が関係していまして。
小学生時代は入学した小学校が制服で、転校した小学校が私服でした。
中学生時代も制服。高校生時代も制服で学校に通っていました。
成長していく中で、制服のメリットやデメリットを肌で感じてきました。
それでは、この意見に至るまでの過程を遡っていきます。
小学生時代について
小学生時代は制服の学校と私服の学校の両方に通っていました。
私が通っていた制服の学校は、生徒の多くは生活保護受給世帯でした。
一方、私服の学校は裕福な家庭が多い地域でした。
小学生時代 ー制服ー
制服の学校は、新興宗教を信じている家庭が多い地域でした。
(私は信者ではなかったので正確な詳細は分かりませんが)
宗教の規則で、
- 男は高卒、女は中卒までならよい。
- 子だくさんはよいこと。
このような内容があったと同級生や家族から聞きました。
同級生が「私、看護婦さんになりたかったんだよね。」*1と、悲しそうに言っていたのが忘れられません。
友達の両親のほとんどは、高卒や中卒で職に就きづらいと周りの大人たちが言っていました。
そして、子だくさんでした。
友達はみな3人兄弟が普通で、5人兄弟もクラスに2~3人いるような環境でした。
兄弟が多い貧しい家庭では、洋服はお下がりが当たり前でした。
つまり、制服もお下がりが当たり前。
学校から帰ったらすぐに制服を脱ぎ、大切にしていました。
「物持ちがいいから大事にしなさい!!」
口酸っぱく親に言われると、友達が笑っていました。
お下がりが出来ない長子にも、団地ならではの繋がりがあってお下がりのお裾分けがありました。他にもお下がり制服の譲渡会もあったような記憶があります。
LGBT配慮の制服 小学校に 半ズボンかスカートを自由に選択 | NHKニュース
<a href="/thnn/">id:thnn</a>『ブラック校則』に詳しいが、そのメリットを活かすには制服の低価格化・簡素化が必須。今の日本で夏・冬・運動着等フルセットで揃えると6、7万は平気でかかる。私服との二重負担も低所得層にはキツい。
2020/01/10 16:01
上記の意見をいただきました。
制服の低価格化・簡素化が必須" これ、一理あります。6、7万は平気でかかるというのは本当ですし、改善できるところだと思います。
それでもそれが全てではないとも思うのです。
制服は確かに高いですが、
物持ちのよさもコストの中に入っているんだろうと感じているからです。
物持ちと価格、いい塩梅のものがあればいいんですけれども。
小学生時代 ー校則ー
校則もありまして。
スカートの下に体操服やブルマを履いてはいけないというきまりがありました。
女子は、鉄棒で遊ぶとき体操服を着たがったのですが、(かくいう私は無頓着でした)
それは許されませんでした。
鉄棒で遊ぶときに体操服が見えたら、男子が先生に言いつけるのです。
男子はパンツが見えても、「パンツ見えたー!」と騒ぎ立てていました笑
そんな校則が今となっては嫌に思います。
(当時はこのことについて何も思いませんでしたが)
また、制服の小学校では、体操服は体育の時間の前に着替えていました。
下着の着用はパンツしか許されていませんでした。
しかも、男女同室で着替えていました。水着の着替えも男女同室。
これは嫌の極みでしたね。
椅子の背もたれに胸を押し当てて、椅子の背もたれごと体操服を着て胸を隠しながら脱いだり、下着のまま体操服を着てから体操服の袖だけ腕を通さずに中でもぞもぞと下着を脱いだりしていました。
下着をつけてはいけない理由は
「下着は汗を吸わないから。」でした。
うん、ちょっと小学生の家庭科の授業からやり直した方がいいと思いますね。
理由になってませんもん。
時には、体操服を掴まれて下着を着ていないかどうか、覗き込まれることもありました。
同性の先生とはいえ、ひどく嫌な気持ちになりました。
私服の学校では、裕福な家庭が多くある地域でした。
この学校は私服でも、所得の格差は感じられませんでした。
この時は、服を選ぶのが楽しかった記憶があります。
私服の小学校では、体育がある日は体操服を着て登校していました。
スカートの下や一回り大きなズボンの下に短パンの体操服を履いていて、
男女同室で着替えていたものの、不自由は感じていませんでした。
寒いときは短パンの上から長ズボンの体操服を着ていました。
所得の差が無ければ、制服は無くてもいいのではないかと思います。
実際、自分に"所得の格差が子供に与える影響を感じた経験があったからそう思いました。
放課後は、制服の学校の子も私服でした。放課後一緒に遊んでいた友達にいじめられたんです。「〇〇ちゃんの家はいいよね」と。自分のブコメは、言葉足らずでした。貧困であることでいじめられることもあれば、その逆もあるのです。
所得の差でいじめるとはどういうことだというブコメが散見されましたが、子どもは子どもです。全国一律、所得の差に対しての教育が現状できているかと言ったら、否だと思います。もちろん、それが理想ですが。
この所得の差によるいじめに憤っているブコメをしている人は、私からすると"育ちのいい人"です。所得の差によるいじめが無くなり、それをよしとしない人が増えてほしいと願っています。
所得の差によるいじめがあることは、いじめられたことのある当事者にしか分からないのかもしれません。子どもは、他人と自分の関係性が割り切れてませんから、「あの子はあの子、自分は自分」と捉えることが難しいことで起こることなのだと思います。
中学生時代
中学生時代は、セーラー服でした。
リボンの結び方や校章の付け方で彼氏募集中とか、調子乗ってるとか、
そういうのがめんどくさかったですね。
中学時代も体操服を下に着ていました。
制服の下に体操服を着ずに、トイレで着替えてましたね。
一方、男子たちは放課後に部活のユニフォームを着替えるのに、
空き教室は使わずに、人通りの多い廊下で着替えてましたね。
キャピキャピ女子が「そんなとこで着替えないでよー笑笑」と言ってもです。
今でも、何か見せつけられていたような気がするのですが…
気のせいということにしておきましょう笑
高校生時代
高校時代はブレザーでした。
ブレザーの上着は腰まですっぽり包み込むもので、洋ナシ体系の私は骨盤が大きく、下のボタンが閉まらずつらい思いをしていました。身長も平均身長よりかなり低いので腰幅に合わせて制服を着ると通常サイズでは袖も余ってしまっていました。
ところが、制服の採寸会の際に奇跡的に試作品として作った特注サイズが1着だけあり、袖が余らない制服で過ごすことが出来ました。
(肩幅が合うサイズの中で、腰がぴったり合うサイズが無く、腰幅はきつくて駄目でしたが…)
様々な体型に合う制服にして欲しかったですね。すごく高いのに。
買ってもらったとき、親には「この制服、一式10万円超えてるんだからね。うちの中で一番高い洋服なんだから大事にしてね。」と言われました。
さらに、高校時代にも制服の校則がありました。
スカートを折り曲げないという項目も、もちろんありましたが…
一番嫌な思いをしたのが、「スカートの裾を切らないこと」でした。
これだけ見るとなんのこっちゃ?という感じですが。この項目の服装検査が嫌だったんです。
服装検査の時は、体育館に学年ごとに集められて、男女別に並んで、同性の先生にチェックされます。
スカートの裾を切っていないことを証明するために、裾の裏の縫いしろには、フェルト生地の校章が圧着で付けられていました。その校章を見せるために、スカートを自らめくらなければならないのです。
裾とは言っても、めくるという動作だけでも嫌でしたし、周りには男子もいて、さらに嫌でした。
服装検査が終わったら教室に帰ってもいいのですが、教室に一緒に帰りたい人がいたり、グループを形成している人たちは体育館でたむろっていて、その目もあったのが嫌でした。
見られていない。自意識過剰。
そんなことはないと思います。
"見られているわけではないから"というのは、性善説の押しつけのように思います。
大学生時代
大学生は制服がない。
そんなことないですよ。
ほら、あるじゃないですか。
リクルートスーツ。
私は就活の際、リクルートスーツを選びに行きましたが、
サイズが全然合いませんでした。
当時は上下サイズバラ売りが珍しく、
サービス開始直後のユニクロのセミオーダースーツに駆け込みました。
女性向けのリクルートスーツは、
2つボタンが主流でした。
そして、就活セミナーでも2つボタンでないと失礼にあたるとまで言われていました。
私は肩幅に合わせると、1つ目のボタンが閉まらず…閉まっても胸がパツパツ…
といった悲しい着こなしになってしまいました。
肩幅が大きいものを着たら着たで、肩が落ちて、
借りた服と言いますか服に着られているようになってしまい、
自分でも採用に至らなさそうな風貌だと感じてしましました。
入らないものは仕方ないのですから、
結局、1つボタンで就活に挑むことにしました。
私が就活していた時期は、高橋まつりさんが亡くなられた後だったので、
働き方改革にクローズアップされつつあるような世相でした。
私も友人と
「スカートじゃなくてズボンで就活したいよね」
「ズボンが原因で落ちる会社なんてお断りだよね。」
「むしろ、こっちから願い下げー!笑」
と話していました。
その流れも1つボタンでの就活の後押しとなりました。
まだ #KuToo の流れはありませんでしたが、友人の1人にヒールを履かずに就活している人もいました。今の就活はどうか分かりませんが、ほんの少しだけ多様性を認めても良いのではないかと思います。
アスペルガーの私としては、特性上リクルートスーツがあったほうが、周りの足並みに揃えやすく、就活しやすかったと感じています。
まとめ
制服はあったほうが良い。
ただ、値段が高すぎる現状は変えていくべき。
ついでに、タイツ禁止・ひざ掛け禁止も滅びてほしい。寒い。
以上!!
4696文字の長文を読んでくださり、ありがとうございます。